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カテゴリ: 場所・地名
評価: 少し良い
宮崎県
みやざきけん
宮崎県
期間(〜終了)
地域・エリア 九州地方
通貨・言語・気候
道庁所在地:宮崎市
補足・その他
説明・解説 宮崎県がこれまでに歩んできた歴史・出来事を時代毎に年表形式でご紹介しています。
キーワード 宮崎県 , 都道府県 , 日本 , 九州地方 , 九州
時代 西暦(年号) 日付 出来事 参考(写真) 編集
明治 1884年
(明治17年)
九郡・八郡役所設置(西臼杵郡、東臼杵郡、児湯郡、宮崎郡、北那珂郡、南那珂郡、北諸県郡、西諸県郡、東諸県郡 宮崎郡と北那珂郡は同一の郡役所)。 編集
1889年
(明治22年)
町村制実施され、5町(宮崎、細島、都城、油津、延岡)95村に統合される。 編集
1907年
(明治40年)
黒北発電所の完成により商用電力供給開始。都城に陸軍歩兵連隊設置。 編集
1912年
(明治45年)
宮崎県き章を制定。 編集
大正 1913年
(大正2年)
国鉄宮崎線(現吉都線)都城まで開通。宮崎県営鉄道(妻線・飫肥線)および宮崎軽便鉄道(後の日南線)営業開始。 編集
1916年
(大正5年)
国鉄宮崎線 宮崎まで開通。 編集
1917年
(大正6年)
宮崎県営鉄道(妻線)国有化。 編集
1923年
(大正12年)
日本窒素肥料(現・チッソ)延岡工場開業(旭化成の前身)。日豊本線開通。 編集
1924年
(大正13年)
宮崎市及び都城市、市制施行。 編集
1926年
(大正15年)
岩切章太郎、宮崎交通の前身である宮崎市街自動車を設立。 編集
昭和 1932年
(昭和7年)
宮崎県庁本館(宮崎県庁舎)竣工。 編集
1934年
(昭和9年)
霧島国立公園指定。 編集
1935年
(昭和10年)
宮崎県営鉄道(飫肥線)国有化。国鉄日ノ影線(後の高千穂鉄道高千穂線)開業。 編集
1939年
(昭和14年)
「こどものくに」開園。 編集
1940年
(昭和15年)
皇紀2600年に伴う紀元二千六百年記念行事を実施。宮崎神宮の拡張や八紘之基柱(あめつちのもとはしら、現・平和台公園)が整備される。八紘之基柱の完成日となった11月25日に日向日日新聞(現・宮崎日日新聞)が創刊。この頃は「聖地」として宮崎を宣伝していた。 編集
1943年
(昭和18年)
戦時企業統合政策により宮崎鉄道・宮崎バス・都城自動車が合併、宮崎交通1社となる。 編集
1946年
(昭和21年)
第1回民選知事選挙。 編集
1949年
(昭和24年)
宮崎大学設立。 編集
1954年
(昭和29年)
宮崎空港開港。隣接して航空大学校が運輸省の附属機関として開校。 編集
1960年
(昭和35年)
島津久永・貴子夫妻新婚旅行。この頃、観光宮崎ブーム。 編集
1964年
(昭和39年)
宮崎県再置80年を記念して宮崎県旗、県の花としてハマユウ、県の鳥としてコシジロヤマドリを制定。 編集
1965年
(昭和40年)
NHKの連続テレビ小説第5作で放映された川端康成原作の『たまゆら』で、橘公園や青島、こどものくに等が紹介され、観光宮崎が広く行き渡る。 編集
1966年
(昭和41年)
県の木としてフェニックスを制定。 編集
1968年
(昭和43年)
えびの地震。 編集
1973年
(昭和48年)
小林市霧島山麓夷守台にて全国植樹祭開催。 編集
1974年
(昭和49年)
宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)設立。 編集
1975年
(昭和50年)
日本最初のサファリパーク『宮崎サファリパーク』開園(1986年閉園)。 編集
当時、地場資本最大の百貨店であった橘百貨店倒産(後にジャスコの資本が入り再建、現・ボンベルタ橘)。 編集
1976年
(昭和51年)
九州縦貫自動車道えびのIC・高原IC間開通。 編集
1979年
(昭和54年)
当時の現職知事である黒木博が、受託収賄の疑いで逮捕され辞職(後に無罪確定)。 編集
第34回国民体育大会『日本のふるさと宮崎国体』開催。 編集
1981年
(昭和56年)
九州縦貫自動車道(宮崎自動車道)宮崎市まで全通。 編集
1986年
(昭和61年)
小林市霧島山麓夷守台にて全国育樹祭開催。 編集
平成 1993年
(平成5年)
総合保養地域整備法適用第1号シーガイアオープン。 編集
2000年
(平成12年)
サミット外相会合。県内の農家より家畜の口蹄疫感染を確認する。 編集
2001年
(平成13年)
東九州自動車道西都IC開通。シーガイアが会社更生法の適用を申請(直後にリップルウッド・ホールディングスが買収)。 編集
2003年
(平成15年)
2004年に開催された全国植樹祭を記念して県の木に飫肥杉・ヤマザクラを追加。 編集
2004年
(平成16年)
西都市にて全国植樹祭開催。 編集
2005年
(平成17年)
宮崎交通に対し、産業再生機構による支援決定。 編集
2006年
(平成18年)
現職知事安藤忠恕が宮崎県官製談合事件関与の疑いで辞職。副知事(58)が就任直後に逮捕(最高裁上告中に死去)。 編集
2007年
(平成19年)
宮崎県知事選挙で東国原英夫当選。 編集
2010年
(平成22年)
口蹄疫の流行。東九州自動車道高鍋IC・日向IC開通。全国高等学校総合文化祭開催。 編集
2011年
(平成23年)
宮崎県知事に河野俊嗣が就任。 編集
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